死について

人は誰もが生まれた時から死に向かう。

生まれた時からカウントダウンされているとは言われても、誰もそんな事は考えない。

子供の頃から肉親の病や死を身近に見てきて、当時はさびしくつらい思いもしたけれど

人の生き死にを、子供の頃より考えさせられる面では恵まれたのかもしれない。

 

さらに、学校卒業後すぐの友人の交通事故死は、その突然性や偶然性も含めて本当にいろいろ考えさせられた。

本当に誰もが、明日はわからない事を。

と同時にこの世の理不尽さを。

 

真面目な良い人なのに、悲惨な最期を迎える人、世の中に決してプラスにはならないと思われるのに、そこそこ健康で楽しそうに長寿をまっとうする人。

この人間の運命や宿命の不思議さ。

この時点で、もうすでにものの考え方にズレがあるのかもしれないけれど…

宗教関係や超常現象、運命、宿命、そしてそんな解らない事を答えてくれそうな人とも何人か話を聞いたり、書物を乱読した時代が若い頃にあった。

しかし、本当に納得できる答えは何一つなく、唯一面白い答え?の中に今、生きているこの場所が地獄なんだよという人がいた。

若くして理不尽な死を迎える人から、生き死にや運命、死後の世界、人生の本当の意味や価値、誰も正確には答えられない事実。

 

そして思ったのは、それではどう生きてゆくことが自分が一番納得できるのだろうか?という事。

27歳の時に考えたのが、人生は一つのチャンスを貰ったのだから、他人に迷惑を出来る限り掛けないで(基本的には無理だけど)、バランスよく楽しんで生きてゆこう、死は決して悲しい事でも苦しいことでもなく、単に自然の摂理の一つで、その先の事は、本当は誰も解らないという事。

あまり、そういう事ばかり考えてもプラスにはならない事。


ただ、後悔のないように、やれる範囲で出来るだけ自分の全力は出してゆこうと、いつも考えて生きてきた(逆に抜くときは思いっきり手を抜くけれど) 。

 

変な話、自分を他人とは比べない。
27歳の頃、生き方を考え抜いた時のいくつかのポイントのひとつで、それ以降少し生きてゆくのが楽になったような気がした。

 

正直、生きて行くということは大変な事で、この数年出会った人や昔の友人の様々な話を聞いて、自分の恵まれている事を再確認。


2012年以降は多分、いろんな大きな変化のある年だと認識していて、ただどんな時も自分の出来るだけの対応をする。
流されるわけでは無いけれど、流れに逆らうのではなく、自分なりに自然の流れに乗ってゆく生き方が今はベストと考えている。

ある歳まで生きて来られたら、死ぬときが来れば死ねばいいと考えられないだろうか?
ベッドに縛りづけられての長生きなんて、絶対したくない。
あくまで自分個人の意見としてだけど。

 

そして還暦近くまで生きて来られた今、死ぬことは本当に悲しい事なのか?という疑問もある。

その他の事でも、昔からすり込まれて来た事の中の、本当に正しい事と時の権力者に利用されて来た教えに?マークが付く事がある。

 

長命という事では森重久弥さんの悲しそうな表情での「みんな先に死んでゆく」という言葉が残っている。

本当に悲しいのは生き残った、そして足らないモノをかかえた近親者なのではないかと思う。

 

管理者の場合、実父の最後の前に密度の濃い時間を過ごせた事から、逝去したときに悲しみはほとんどなく(情が薄いのかもしれないけれど)、少し頭が辛くなっていただけに「よかったね」と心でつぶやいた記憶がある。

直葬・天国への引越